神の定義(2)

前の記事の続きになりますが 神の定義(1)では私の
個人的な神に対するイメージをかきました。
今回は存在エネルギー論の立場から神の定義について書いてみたい
と思います。

神とはいったいどんな存在なのでしょうか。

目には見えない存在なのでしょうか?では見えたら神ではないのでしょうか?

人間より優れた存在だとしたら、人間は神にはなれないのでしょうか?

いろいろな疑問が湧いてきますが一般的なイメージとしては人間より遥かに
すぐれた崇高な存在という感じでしょうか。

では人間より優れた崇高な存在と定義すれば問題ないのでしょうか。

人間より優れた崇高な存在とは存在エネルギー論で表現すると人間よりも
存在エネルギー量が高く情報密度が高い存在ということになりますが
これを定義する場合人間を基準に線を引くということになります。

しかしこうするとある矛盾が生じます。

例えば 犬や猫からみて人間というのは存在エネルギー量が高く情報密度が
高い存在ということになりますが、先程の定義からすれば条件を満たしていながらも
人間以上の存在が神という定義のため人間は神ではない答えになります。

このように人間を中心として考える考え方でいいのでしょうか。
そしてそもそも犬や猫は人間よりも劣っているような印象の見方でいいのでしょうか?

これは宇宙は比べること差別化することから成り立っているため正しいとも言えますが
存在エネルギー論では すべての存在は 存在エネルギーという同じエネルギーから
できているという考え方なので、存在エネルギーが高い(進歩している)から
存在エネルギーが低い(進歩が遅れている)からといって存在の重要度には
変わりはないと考えます。

例えるなら 赤ん坊はなんの文化的な知識も持ちませんが 大人は多くの知識を
持っています。

しかしその命の重さは何も変わりはないのです。むしろ赤子は我々が存続していくため
にはとても大切な存在なのです。

つまり存在エネルギー論ではすべての存在が同等の価値をもっていると考えるため
線引きして定義することができないということになります。

あえて定義するなら

すべての存在が神である ということになり 裏返して言えば

すべての存在が神ではない ということになります。

これは人間より遥かに高度で優れた知性を否定しているものではありません。

もしそのような存在がおられるのならばそれは私達の未来の姿であり
敬愛し尊敬の念をもって目標とすべき大先輩である宇宙の仲間なのだと
思います。

そして進歩していないように見える存在もエネルギーが単純なため宇宙の
真理との結びつきは強いという側面もあるのです。より直感的に自然というもの
理解しているはずです。我々が思っている程 無知ではないのです。

どこかに線を引いて定義するという事は難しいのですが、この宇宙に何ひとつ
変わらないものがあります。

それは 絶対存在エネルギー(絶対的な唯認識)と絶対的な無というものです。

この二つの絶対的なエネルギーの同時的反復と無限のエネルギー分裂により
部分的に意味を生じさせている巨大なシステムそのもの。

この宇宙全体のシステムそのものを神と定義することが唯一
できると思います。

これを存在エネルギー論における答えとします。


最後に何故このテーマを選んだ動機を・・・
この文明の中で人間と神に対するかかわりを見ていると人間と神が分離した
関係のようにみえるのです。

神は崇める対象であり自分達の運命をすべてにぎっていると・・・

宗教批判をするつもりはありませんが、一般的にイメージする神とは
私達人間の未来の姿なのではないでしょうか。

尊敬し敬愛し目標とすべき偉大な大先輩なのではないでしょうか。
神として崇めるだけの存在ではこの無限といえる宇宙の多種多様な世界
から孤立してしまうことになるのではないか。

人類は実は孤独な種族なのかもしれない。

私達は神の一部であることを本当の意味で悟り
大宇宙のしくみを理解することこそが人類の大きな進歩となることで
新しい宇宙の世界を切り開いていけるのではないでしょうか。

そして多くの仲間がいることを知ることになるでしょう。



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